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OB会機関誌「応援団がチャッ・チャッ・チャ」から、毎月、ごく一部を抜粋して掲載しています。
OB会員の皆様は会員専用ページにてご覧下さい。関連する写真もご覧になれます。


法政大学応援団OB会
 応援団が チャッ・チャッ・チャ 




 私も、愛した法政大学応援団 (47年文学部卒  カメラ部OB) 

私が応援団の活動写真を撮っていたのは、四十四年高村団長の時から四十六年までの三年間です。
その間三代にわたる団員の方たちと、神宮のみならず合宿にも同行して日常の写真を撮らさせていただきました。
口の悪いカメラ部の仲間からは応援団所属とまで言われたほど、公私にわたってお世話になりました。
合宿では団員の方と同様にマラソンをやったり、夜 近くの飲み屋に幹部に連れて行かれて朝まで飲んで、
明け方近く宿舎の雨どいを攀じ登って帰ったり、
と私の大学時代の思い出といえば応援団そのものでした。

そんな事もあってか、卒業して三十年経つ今でも、「準団員だった」といわれて皆と親しくお付き合いをさせてもらっています。

当時の法政の応援団は、他大学の応援団から一目も二目も置かれている存在でした。
いろいろな行事があって幹部と同行すると、他大学の応援団が、第三者の私に日ごろの活動や規律のことなどを聞いてきたものです。
今になって思うと、当時の法政大学応援団には他大学と明らかに違う点がありました。
それは先輩による後輩への体罰や暴力がまったく無かったということです。
シャレや遊びでのいじめは確かにありました。でもそれすらみんなの前で笑ってやっていたものです。
ある時、野菜の嫌いな新入団員に向かって幹部が、顔色が悪いからといって大きなボールに入った山盛りのパセリを食わせたとか、そのようなものです。
しかし私の知っている限り当時の団員が殴られて青あざを作ってきたり、怪我をしたりということはただの一度として見たことも、聞いたこともありませんでした。
それでも上下関係による規律は頑として存在していました。
他大学の団員が聞いてきたとき、私は必ず先輩たちのその行動、精神が法政大学応援団のスピリットなのだ、だから素晴らしいといわれる応援団なのだと答えたものです。

私が、最も感動したのは、優勝パレードの時でした。
当時のキャンパスは、全学連の立て看板で埋め尽くされており、とても優勝祝賀会をやれるような状態ではありませんでした。
それを当時の児玉総務責任者が、全学連と話し合い説得し、パレード到着直前にすべての立て看板を撤去させたのです。
手ぬぐいで覆面をしヘルメットをかぶった全学連と、黒い学生服の応援団員がいっしょに大きな立て看板を運んでいる姿が今でもはっきりと思い出されます。

あれから三十年。今もその法政大学応援団精神が脈々と受け継がれていることを心から望んでやみません。



 *** 法政大学応援団70周年誌 より抜粋 *** (44年リーダー部卒) 

私たちが誇れるものが一つある。
下級生を一度たりとも殴らなかった事だ。
そして、上級生からも殴られなかったことだ。私たちの下の代もそうだったと聞いている。
それがいつの間にか殴る蹴るが当たり前になって、ついには問題になってしまったことがある。
なぜそうなってしまったのかなと思った時、こんな話を思い出した。

イタリアで古代ローマ時代の遺跡から文字の書かれた粘土板が発見された。
考古学者は喜び勇んでこの文字を解読したところ、それはローマに勉学にきた地方豪族の息子が親に宛てた手紙であった。
内容は「金が無い、至急送ってくれ」

時代は変わっても人間の性は変わらないもの。
しかし、悪しき習慣は捨てて、良い伝統を伝えるのも人間だから出来る事。
応援団、この素晴らしい思い出の場をいつまでも伝え、守り、育てていくのは現役学生のみの仕事ではないと思う。
関わりを持った人たちすべてが受け持つものではないだろうか。